作品のところに置いてある写真、削ったりくっつけたり大きくしたりして、整理しました。それから、前カラーだったものをモノクロに変えたりして、1ページ(4枚)作りました。


 さて、今日は、明石大橋について自分の思うところを書きたいと思います。
 2、3日前、写真に撮った悪名高き海岸は、大蔵海岸という名前です。この名前に聞き覚えはないでしょうか。2001年12月30日に砂浜が突然陥没し、歩いていた4歳の女の子が生き埋めになり、亡くなった事故があったところです(昨日の日記の4枚目の写真です。いまはあのように、また工事のやり直しをしている)。この海岸は、これだけではなく、同じ年の7月に花火大会が行なわれた折、すぐ近くの歩道橋において、あまりの人の多さに雪崩が起きて11人が死亡するという事故もありました。このように、同じ年に死者が出る事故が2回も発生している海岸なので、殺人海岸と呼ぶ人もいるそうです(ネットにそう書いてあった)。原因は人為的なもので、防げる方法はあったと言われています。しかし自分は、その事故の原因を、あまりにも乱暴で、根拠がなくて、荒唐無稽だと言われるかもしれませんが、あの大きすぎる橋にあるのではないかと考えるのです。じつは、このあたりの場所では、それ以外の、大きな事故、事件が起きています。1995年の阪神大震災と、1997年の須磨の少年Aによる児童連続殺傷事件がそれです(しかし、犯人が少年Aであるするのは安易だという意見もあるようです)。どちらも、あの明石大橋の周辺で起きたもので、時期は、橋の建設中、または建設後まもなくに起こっています。もちろん、それらの事故、事件、天災の原因がばらばらで、地震なんて人の力の及ぶものではないし、少年Aによる事件と地震なんてなんの関係もない、と言われるでしょう。しかし、その事件事故の大きさや社会的影響力、人が亡くなったという事実は共通しています。そして、時期と場所も。だから、自分は、あの橋がどうもあやしいと思っている。大体川に橋を架けるのならまだ分かりますが、海を渡って架ける橋なんてやりすぎじゃないのか。なにか、自然に逆らっている気がする。海の神の怒りをかったとか、そこまでは言いませんが、なんとなくあの橋には、危険なものを感じるのです。別の観点、たとえば科学的に考えてみると、橋の建設によって、磁場とか活断層に変化をもたらした、と言えるかもしれないし、あるいは風水的になんとか、とちょっとオカルティックですが、そういうふうに言うこともできるかもしれない。まあ、もちろん本当のところは分かりませんし、全然自分は見当外れなことを言っているのかもしれない。ちょっとそういうことを考えてみた、考えるだけの材料があった、ということです。
 とにかくぼくは、そういうところに住んでいます。