なんとなく途方にくれている(おかしな言い方)。昨日のことを考えてしまう。考えても仕方ないのだけれど。うろうろする。今日も晴れ。
なんだかつらい。息をするのが。
人の絵が見たい、と思って。三鷹まで歩いて。
ああ晴れだ。
(人生は自分の顔によって判断された)
3日もすれば忘れる。
そして。
(自分の喜びは自分によって発生する)した。
バス停で休憩。
三鷹市美術ギャラリーの「絵画の湯展」というのを見る。岡崎乾二郎の絵の前で、ぼんやりと考えごと。そして、そして、ああ、最悪の事態になったことだって考えられたんだ、それにくらべればどうだろう!まだいいじゃないか!と思って、途端に嬉しくなって、涙さえ出そうになった。
けれど
出て
しばらくしたら
その
ことも
すっかり

れた。
ぜん



子どもが走っている。自分も走りたい。走って走って、ぐるぐるまわって、木があったらすぐさま木に登って、大きな声で叫ぶ。それを自分が見ている。それを自分は見て笑っている。ようやく目的地に着いた。光が見えるのがそのしるしだろう。自分が見たかったのはその光だから。それから、きっとうまくいく。木に登っているのだってすべて許される。最後にはきっと微笑んでいる。これ以上ないほどに静かに微笑んでいる。世界中の人たちがそれを望んでいる。望まれるのは幸福なことだし自分だってそれを望んでいるのだからすべてをなげうって力の限り木登りをすることなんだ。木の上にはさらに高い木が続いていてその上にはさらにまた高い木が続いていて、さらにさらに、さらに、ずっとずっと続いているんだ。もう下の方にはなにがあったのか忘れてしまった。いつまでもずっと木登りを続けている。