芸大の茂木さんの授業を聞きに行く。塩谷賢さんという、哲学をやっている(茂木さんの学生時代からの友人の)人がゲスト。
かつて楽しかった、そのことがいまはもうない…そういう、時間の不可逆性への苛立ちのようなものを、話のどこかでしていた。話全体の中では、ほんの少しの部分だったけれど、そこがいちばん自分の興味にふれた。


また、今日電車の中で、ニーチェの「ツァラトゥストラはこう言った」を読んでいたら、こういう文があった。
意志は時間を打ち破ることができない。時間の勝手な欲求をくじくことができない。ーこれが意志のこのうえなくさびしい悲哀である。(中略)『すでにそうあったもの』−意志がころがすことのできない石の名はこれである。

自分も、時間とはなんだろうと、ときどき考える。ただすぎていき、同じ状態を拒否し、最後には自分の命を奪うもの。それは悲しいけれども、どうしようもないけれども、生まれてくるというのは、その瞬間、時間が流れるのを背負うということでもあるのだろう。
それはふたつでひとつのもので、離すことはできない。