遠い昔、まだその土地に農民しか暮らしていなかった頃のこと、ある農夫が毎日小さい娘と犬をつれて畑仕事に出ていた。ある日、いつものように農夫が娘を犬と遊ばせて畑仕事をしていると、娘の悲鳴が聞こえ、あわてて駆けつけると、すでに娘は血を流して死んでいた。
農夫はてっきり犬の仕業だと思って、犬をその場でたたき殺したのだが、はっと気がつくと死んだ娘のすぐ傍に毒蛇がいた。農夫は自分が大きな間違いを犯したことを知り、その場所に犬を手厚く葬った。
それから何世紀か経ち、その場所には街道が通るようになった。農夫が犬を葬った粗末な墓標は朽ち果てず残っていて、街道を行く旅人たちはそこに腰をおろして休むのが習慣となっていた。ある日ひとりの旅人が足を痛めてやっとの思いで墓標まで歩いてきて、しばらく休息をとって立ち上がると、足が治っているではないか。
それ以来、そこでは奇蹟がたび重なり、「これはありがたい聖人のお墓に違いない」という評判が広がり、そこに教会が建ち、その教会には多くの人が集まるようになった。
そしてまた時が過ぎ…、教会が老朽化したので再建の話が持ち上がった。それではせっかくだから昔からそのままになっている聖人のお墓をもっとちゃんとしたものに替えようと言って、お墓を掘り返したら、そこにあったのは犬の骨だった…。
(保坂和志「小説の誕生」より引用。出典は不明だそうです)