ジャック・リヴェットの「北の橋」を観た。こんなにへんな映画もめずらしい。へんというか、歪んでいるというか、感想を書くのが難しいというか。でも、これで良いんだと思える。ある必然性によってつくられたんだと、かってに想像する(そう感じられるのが大事なんだろう)。舞台になっている、パリの街(1981年公開)の、殺風景なような、するどくとがった感じが魅力的(壊される建物のショット…)。
最近自分が考えていることを、リヴェットに近づけて言葉にしてみる。リヴェットや、ヌーヴェルヴァーグの作家たちの映画の作り方は、基本的に即興でありロケであり(リヴェットの映画は脚本もないらしい)、そういう作り方によって生まれる生々しさがある。自分の近くにある材料ですぐに作り、それを荒く編集し、そのまま出してしまうこと。整えるということを排除して、一見ノイズに思えることを豊かなものとして残すこと。そういう方法は、いま自分がいちばん興味があるというか、そもそも自分が好きなのはそういうことなのだと、最近気づいたところがある(かなり遅いけど)。山崎ナオコーラの「論理と感性は相反しない」を良いと思ったのも、生放送の27時間テレビをおもしろいと思ったのも、同じことだと思う。