雨が降っている(けれども耳栓をしているので、雨の音はほとんど聞こえない。でも雨が降っているのは知っている)。
とくになにも書くことはないのだけれど、ただ文章を書きたいような気がして、携帯電話のボタンを押している。さっきオリンピックの閉会式の最後のほうを見て、そのままテレビを30分見て、それから40分くらいネットを見て、いまは寝転がって携帯のボタンを押している。仰向けの恰好で、足は組んでいる。Tシャツ一枚着ている。息をしている。
いま電気を消して、部屋は暗くなった(となりの部屋はつけているので、明かりはもれている)。ほんとうに、なにも書くことはなく、ただ文章を書きたいという欲求だけがいまはある。描きたい絵はないが、ただ絵の具を使いたい、ただ線を描きたい、ただ色を塗りたい、というようなことと同じだろうか。あるいは、目的地があるわけではないが、ただ歩きたい、というのと同じだろうか。
気温はちょうどいい。シャツ一枚でほかになにもいらない。裸だったらたぶん少し寒いだろう。…と、意味のないことを書く。なにも書くことはなく、ただ書きたいという欲求だけあるから。少し眠たくなってきたか。そうでもないか。水を飲みたいか。そうでもないか。なにも意味のない文章。



雨は聞こえなくなった。さっきは耳栓をしていても小さく雨音が聞こえたが、いまは聞こえない。でもただ聞こえないだけで、降っているかもしれない。たしかめようとは思わない。どちらでもよいと思っている(結局、朝になったときにどうであるかが問題だから、いまはどっちでもいい)。
時間が、驚くほどはやく流れている。しかしそれも、最近は少し慣れたかもしれない。時間のはやいことに。前はもっと驚いていたし、もっと取り返しがつかないような気がしていた。たぶん。
そして、一日があるのが当たり前のようになっている。ほんとうは、違うかもしれないのに。でもすべてに慣れていっている。それまでの自分では考えられないような状況にも、慣れていたりする。変化した状況にも慣れ、一日がはじまり、終わることにも慣れている。もうすぐ秋がやってくるとして、はじめは驚くだろうが(もうすでに一度驚いた)、それもしばらくしたら慣れるだろう。なにもかも体になじんでいって、自分の一部になるのだろう。それを自分が必要とすれば。いや、そうでなくとも。
なにを書いているのか自分でもよく分からないけれど、これが今日の(いまの)自分の線なんだろう。たまにはこういう日記もいいんじゃないだろうか(最近はほとんどなくなったけど、むかしはもっと書いていた気がする)。眠たくなってきた。




追記。上の文章を書いて日記を更新した後、眠たいんだから、そのまま寝たら良かったんだけれど、寝ずにまたネットをしてしまった。それで、あちこち飛びまわった後、自分のむかしの日記はどんなんだったんだろうかと思って(上の文章で少し触れたので)、ひさしぶりに少し見てみた。適当に選んだのだけれど、たまたま4年前の今頃の日記を読んだら、オリンピックのことを書いていて驚いた(アテネオリンピックだ)。しかも、(すっかり忘れていたんだけれど)柔道の谷村選手のこととか書いていた(今回も少し書いている)。あとは、日記に、ゲームキューブの「ホームランド」はどうなったんだろう(発売されたんだろうか?)、と書いているんだけれど、これも最近、4年越しにプレイしたのだった…。
ちなみに、4年前の今頃は、自分はまだ東京に出てきていなかった。当時、していた仕事を辞める決意をしたものの、その後のことはどうなるかまったく分からない状態だった(東京へ行くことを決めて、仕事を辞めたわけではない)。日記を読むと、(いまはもうすっかり忘れてしまった)そういうことが、かろうじて思い出される。しかし、それにしてもそういうことが、たった4年前のことなんだと思うと、そうとう不思議な感情になる。もっと、前にあったことのように思える。