無計画性について

  
 昨日ある人と話していて、「あなたは無計画すぎる」と強い批判を込めて言われました。たしかに自分は、自分のこれまで生きてきた人生において、あまりにも無計画だったのかもしれません。その場その場の思いつきで行動してきました。あるいはなにも考えずに、流れにまかせるように生きてきたのかもしれません。おそらくそれは、多くの人にとって批判の対象となるべきことでしょう。いかにもだらしなく、非人間的(動物的)で、怠慢で、腹立たしいことなのかもしれません。しかし自分は、その人に「無計画すぎる」と言われたとき、「なんにも悪くない」と答えました(その人はあきれていたようですが)。実際、なんにも悪くありません。自分はそう思うのです。これは、この無計画性は(前にこの日記でも書きましたが)自分の本質なのです。人生においてはもちろん、たとえば絵を描くとき、あるいは小説を書くときなども、なにも計画を立ててやりません。なにを描くのか、筆を紙に置くまでさっぱり分からない描き方をすることが多い。小説も、なにも考えずに、体から文章が流れ出すのをただ見ているという具合なのです。また、しゃべるときも、そのときそのときの思いつきでしゃべり、そのとき話している話題に興味を失えば、すぐにつぎの話題に移るというしゃべり方なのです(相手にとっては大いに迷惑なことでしょうが)。これは、自分の人生にまつわるすべて、自分の行動のすべてにおいて当てはまることだと思います。まったく、これは、自分の本質に違いないのですから、おそらく死ぬまで直らないでしょうし(直す気にもならないでしょうが)、この本質によって自分が不幸になろうとも、なにも後悔することではないのです。そして、思うのですが、そのようにして行動し、生きることでしか得られない体験というのがあり、そのようにしてしか描けない絵があり、小説があり、人生があるのではないでしょうか。