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 いままで、なぜか読みにくいと思って敬遠していた宮沢賢治を、最近、少しずつ読んでいます。そうして、宮沢賢治のすごさ偉大さを知っているところです。いや、まったく宮沢賢治は、日本文学一千年の歴史の中で、最も美しい宝石ではないでしょうか。


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 たぶんはじめて自分が宮沢賢治を読んだのは、小学生か中学生のときの国語の時間で、それは「やまなし」だったと思います。「クラムボンはわらったよ クラムボンはかぷかぷわらったよ」で有名な物語です。おそらく教科書に載っていて、読んだ人も多いのではないのでしょうか。しかし子供というのは、なんでも自然に受け入れてしまうものです。「やまなし」も、ちょっと変だなあと思いながらも、小説とはこんなものなのかと納得して、読み終える恐れがあります(自分の場合、そうでした)。ところが!こんな小説は宮沢賢治以外ではありえないのです!ここのところは大変危ないところ、注意すべきところです。自然に受け入れてもらっては困る。こんな変な、こんな詩的な、奇妙な、美しい、独特な小説はないのです。このすごさは、いろいろな世界中の小説を読んだ後で、あらためて宮沢賢治を読まないと分からない。これが普通だと思ってはいけない。
 今回あらためて何年ぶり(十何年ぶり?)かに読んでみて、まずその冒頭に心臓を射抜かれました。それはこんな文章…

  小さな谷底を写した二枚の青い幻燈です。

 これを読んだとき、思わず涙がこぼれそうになりました。この一文だけで、です。泣くとは、理性が壊れることではないでしょうか。この一文にはそれをなしえる力があります。まったく、なんて恐ろしい小説でしょう。



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 宮沢賢治の文学を読んで思い浮かぶ名前は、フランツ・カフカです。彼の短い小説には、宮沢賢治の小説と似た感触があるかもしれない。それと、もうひとり感触の似た作家を挙げるとするならば、ポーランドブルーノ・シュルツです。彼も、幻想的で、独特の小説を書きました。この3人には共通するところがあるようにも思います。
 まず、その境遇。生前にはほとんど認められず、死後、絶賛が寄せられていること。2番目に、その時期。第一次世界大戦が始まる前に生まれ、第二次世界大戦が終わる前に死んでいます。賢治は1896年に生まれ、1933年に死んでいます。カフカは1883年に生まれ1924年に死に、シュルツは1892年に生まれ、1942年に死んでいます。この3人の小説は、同じ時期に書かれているのです。3つめの共通点は、場所。3人とも、雪の降る寒いところで生まれている。チェコ、ポーランド、岩手(調べてみたら、緯度は大体40〜50度の間でした)。
 これらの共通点(作品、人生、時間、空間)がなにを意味するのか分かりませんが、生まれた星が同じだと言うことができるのかもしれません。


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 ぼくは、この3人の書いた小説がたまらなく好きです。この3人がいれば、他になにもいらないという気さえする。何度も何度も繰り返し読んでは、その度に感動を覚えることでしょう。そして、その3人のうちのひとり、宮沢賢治の書いた小説や詩を、自分の使っている言葉、日本語で読めることを幸福に思うのです。