今日のこと。

1
絵は、つくるのにたくさんの道具がある。絵の具(水彩、油彩、アクリルなど)、鉛筆(色鉛筆)、ペン(マーカー)、クレヨン(コンテ)、墨、また版画もあるし、別にそういうのでなくても、世にあるあらゆるもの、たとえば布や土や葉っぱなんかも絵をつくるのに使える。また、いまではコンピュータ上で絵をつくることができ、その中でも様々な道具がある。ひとりの人間が絵をつくろうと思ったら、じつに多くの道具や材料が選べる。けれど、文学をつくろうと思ったら、あるいは文学なんておおげさなものでなくても、文章をつくろうと思ったら、使えるのは、(自分にとっては)ひとつしかない。日本語しかない。…と、どこかお店へ行って、食事が出てくるのを待っている間に、なんとなく考えた。

2
歩いていて楳図かずおとすれ違った。こっちへ来て二回目。前から歩いてきて、そこは人通りのそんなに多いところではないし、すぐに分かった。それで、よっぽど声をかけてみようと思ったが、勇気がなく、そのまま何事もなくすれ違っただけだった。今度見かけたときは声をかけてみよう…。

3
歯ブラシを買った。こっちへ来てからずっと同じのを使っていて、毛が曲がったらかえようと思っているのに、いつまでたっても曲がる気配がないから。見た目は新品と変わらないけれど、さすがに気持ち悪くなってきたので。

4
はじめに書いた、絵と文章の道具の話。絵は現実の「もの」としてあるけれど、文章はそうではない。だから、材料が絵のようにたくさんあるわけではないのは当たり前のことだ、ということに気付いた。というか、くらべるのはそもそもなにかおかしい。たぶん。

5
天国とは、自分が自由にできる時間のことだと、ふと思った。だからいま天国。「地獄とは他者のことだ」と言ったのはだれだっけ。

6
いま公園のベンチ。座ったとたんに蚊にさされてかゆい。空はくもり。土曜日で人が多い。ボートがたくさん浮かんでいる。ボートは、だいたい2人、あるいは3人で乗っている。池に浮かべられたボートの2人、あるいは3人の人間は、「ボートに乗っている」ということによって、美術館のひとつひとつの作品のようだ。説明が分かりにくいかもしれないけれど…「区切られている」ということ。集団からボートによって明確に区切られていて、分かりやすくなっている。2人なら2人、3人なら3人の関係性に注目しやすくなっている。情報の整理、デザインが働いている。たとえば料理なら、皿に乗せられた瞬間にデザインが働く。

7
雨が降ってきたかも。ひとまわりして、帰ろう。ボートの上でオカリナの練習をしている女性ふたり組がいた。世界でひとつだけの花。何回か間違える。