昨日と今日は寒かった。今日はずっと家にいた。絵のことを考えていた。
自分は、絵にかんしてけっこう器用なんじゃないかと思っているところがあったけれど、ぜんぜんそんなことはないと分かった。自分には描けない絵が、ほんとうにたくさんある。描けるけど描きたくない、というのではなく、たんに描けないという絵が、たくさんある。ひとつの画面にたいして、どういうふうにモノなり人物を入れるか、という距離の感覚は、少なくとも自分は、ほとんど決まっているし、それ以外だと気持ち悪い、とか、立体的な絵に我慢できない(平面的にしか描けない)とか、使えない色とか、人物であれば描けない表情とか、いろいろある。それを、今日、というかここ何日か、なんとか無理して、描けない絵を描こうとしていたのだけれど、かなり苦しかった。外は雨で、寒く、ひとり家で描けない絵のことを考えていた。手を動かしても自分の思うようにならなかった。
いまは精神的に一段落したけれど、こういうのがずっとだと、たぶんつらいだろう。この気持ちはなんなのだろうか、と思う。この無理をしているときの気持ち。なにかに似ているような、どこかで体験したような、気がするけど…。


あと、ツイッターのこと。ツイッターは、けっこうしていると思うけれど、このところ、自由に書けなくなってきた気がする。なにか書こうとしても、結局やめたりすることが多い。なにか、書く前からプレッシャーを感じてしまう。フォロワーがだれそれ、とあらかじめ分かっているせいかもしれないし、書いたことによってフォロワーが減ったという経験をしているせいかもしれない。自分が書いたことにたいして、リアクションされる場合もあり、それ自体はすごく嬉しいのだけれど、でもそれによって、へんなことを書けないという思いが出てきたり、しているのかもしれない。長文を書いたり、連続で投稿すると、迷惑なんじゃないかと思ったりもしてしまう。もちろん便利で、見る分にはいいのだけれど(あいかわらず相当な中毒性を感じている)、一方で、不自由なものだと感じはじめてもいる。
ようするに、一言でいうと、ツイッターには社会性があって、空気を読む必要があるのだ。そこが難しい。こちらの「明るさ」にはない(少なくとも自分はそう感じている)ので、そこがうれしい。好きなように書けるし、迷惑をかけているかも、と心配する必要がない。(とか言いながら、文章はあまり書いていず、写真をのせることが多いけれど…)