られさんのところでいろいろ言われたり、また自分でも言っているうちに、なんだかほんとうに、自分は絵本を描くのがいいような気がしてきました。それで図書館へ本を返しにいくついでに、前から少し気になっていた長新太の絵本を、その図書館にある全部、24冊読みました。なるほど不思議な感じで、おもしろい。特に話がおもしろいと思いました(そしてまた、いい加減に書いているようにも思える)。なんだか、こんなこと言っていいのか分かりませんが、自分が描いたような気までします。絵は、ほんの少しの時間で描いているように見え、これなら自分でもできそうだと思いました。よし、ひとつ絵本を描いてみようか、と決心しました。
 さて、そうしてあらためて絵本という言葉に自分を関連づけて考えてみますと、自分は絵本と言う分野で仕事をするのが一番合っているのではないかとまで思いだしました。「ほどけ犬」はまず絵が先攻していますけれど、たとえば自分の書いた短い小説である「友達」や「すずめの巣」なんかも、それ自体では短すぎてとても出版できませんが、絵を補足して、絵本とすれば出版できるでしょう。自分は絵と小説のどちらもやろうと思っているところがあって、別にそれでもかまわないような気がしていましたが、絵本ならそのふたつをいっしょにすることができます。また、自分は長編小説が書けない体質で、短いほうが得意なようなので、これも絵本むきと言えます。そういう風にいろいろ考えますと、まったく自分には絵本という分野がふさわしいのじゃないか、と思いいたりました。そして、まだ話ができていないにも関わらず、善は急げとばかりにさっそく紙を買ってまいりました。どのようにして描けばいいのかさっぱり分かりませんが、ここはひとつ、なんとかものにしたいと思っています。
 ところで、この前図書館に来たとき、英米文学の作家の頭文字Sのところでしゃがみ込んで本を探しているとき(村上春樹訳、サリンジャーの「キャッチャー・イン・ザ・ライ」がないか探してのことだったと思います)、なぜか絵本のことを考え、そして今日また同じ場所で同じ本を探しているとき、ああそういえば、と前の記憶がよみがえり、絵本のことを考えたことを思い出し、なんだか不思議な気持ちになりました。もしかしたら、ただ記憶を改ざんしたか、あるいはそれを考える一瞬前の記憶を思い出し、デ・ジャヴだと錯覚しただけなのかもしれませんが。