涼しくなって、空気の質が変わったような気がして、過去の、この時期の記憶が、頭と体にじんわりとよみがえって、何年か前、毎日夕方頃帰るときに通った細く暗い道のことを思い出したり、小学校の頃の、友達と遊んだアスファルトの冷たさや、もう家へ帰らなくてはならないときのさびしい感情を思い出したり、そういう様々な思い出やそのとき味わった感情やなんかを、うまく言えないが、「思い出ではなく、言葉ではなく、体の記憶として」実感して、感動する話を聞いたとか、ものすごい怪我をして痛いとか、この世の春かと思うほどに笑うとか、そういう明確な理由があるわけでもないのに、ただぼーっと存在して空気を吸っているだけで泣きそうな気分になって、寂しくて寂しくて、でもどうにもできなくて、なにをしていてもずっとその心の状態はあって、ただその感覚を噛みしめるだけしかできなくて、嵐が去るのを待つように、時間が経って消えるのを待つしかない。だけど、そういう寂しさの感情っていうのは、そんなに避けるべきものでもなくて、積極的に味わいたいと思うことはないけれど、押し寄せたら押し寄せたで、その一年ぶりの不意打ちを、なつかしさを込めた目を持って眺めることができる。ただ、そう、一年というのは短いようで案外長くて、なにか物事を忘れるには充分な年月で、それは完全に忘れ去ってしまうほどの長さではなく、季節の変わり目が来たら、ああ、来た、と分かるんだけど、一年という年月を挟んだ「それ」は、いつも新鮮で懐かしい、複雑な感情を呼び起こす。
しかし今年の「それ」は、いつもとはまた違う特別なもののようにも思える。格別に寂しさが深いようにも感じられる。理由は分からないが、きっとなにかあるのだろう。