どうもやっぱり、作品についてとか、書くべきじゃなかったのかな、と思い直したり。自分の書いた内容が間違っているとは思わないけれど、書けば書くほど、自分と、自分のこれまでの作品などが、小さくなっていくような気がする。それで、これからつくる作品なども、(まだつくっていないにも関わらず)小さくなる気がする。それは、苦しい。
なぜ苦しいのか。それは、自分というものを決めてしまうことにつながるからで、ある程度は必要なのかもしれないけれど、やりすぎはよくない。もっといい加減に、適当にやった方がいいような気がする。それは、可能性をできるだけ残すということだ。自分の性格は、なにかひとつに決めることを避ける。
それで思うのだけれど、最近アルバイトが嫌で嫌で仕方ないのは、ある程度慣れて、自分のすることが、する前から分かっているからだ。する前からすることが決まっていることほど、苦しいこともあまりない。未来が分かる人とか、いないとは思うけれど、もしいたとしたらどんなにその人は退屈でおもしろくない人生を歩まなければいけないのだろう。なにかを得ればなにかを失うというけれど、まさにそのこと。
そういえば雑誌のインタビューで、自分について語ったけれど、いま思えばあれも良くなかったのかもしれない。たとえ客観的に自分の作品を語ったとしても。どうも、とにかく、考えが浅かったかな、と反省。
一番楽しいのは、きっと、まったくなんのことか分からないときではなく、かなりの部分分かってきてこうすれば間違いないと思えるときでもなく、その中間の、少し分かってきたけれどまだまだ未知のものが残っているとき、じゃないのだろうか。そこが一番いいときだと思う。
とにかく適当さを持って、曖昧に、ぼんやりと。それは、ほんとうに、なにごとにおいても。