エジプトへ行ってみたい。
TACHENの本で、「ナポレオン エジプト誌」という本があって、このあいだ購入した。ナポレオンがエジプト遠征をしたときに持ち帰った文化的・科学的戦利品を、400人の銅版画家たちが20年以上の歳月をかけて制作したというのがこの本だそうで、古代遺跡の描写をはじめ、エジプト人の生活、植物、動物、虫、魚、ツボや楽器などが、837の銅版画を含めた3000以上のイラストで紹介されている。とにかく数が膨大で、しかもそのひとつひとつのイラストの描写が細密極まっていて、当時は写真がなかっただろうから、人間の目と手を写真機のかわりにして、ただ現実を現実のままにそっくり写すことがつらぬかれている。
自分がとくに興味があるのは、あの古代エジプト人特有の横向きの人物を用いた描写で、それは、まさに自分が最近描いている絵と同じ。いちおう誤解ないように言っておくと、自分の横向きの人物の絵は、べつに古代エジプト人を意識したわけではなく、いつの間にか、なぜか、知らないうちに、そうなっていただけ。さすがに後から、古代エジプト人と同じじゃないかと気付いたのだけれど、それはあくまで後から気付いたにすぎず、描いていたときはまったく意識していなかった。とにかく、自分と同じような表現法であるから、嫌いであるはずがなく、興味津々じっくり眺めいった。そうして見ていて発見したのは、古代エジプト人の表現は、ただ人物が横向きというだけが自分と共通しているのではなく、ほかにも似た表現があった。それは、人物のスケールが違うということ。自分の絵は、大きな人間と小さな人間が、なにかいろいろなやりとりをしている、というものがけっこう多いのだけれど(それは、なぜだか知らないけど安心するから)、この「エジプト誌」に紹介されている古代エジプト人の絵でも、そういうふうに、大きな人間、小さな人間と、スケールの違う人間が同じ画面におさまっている。たとえば、大きな人間が、足元にいる、大きな人間の5分の1ほどの大きさの小さな人間を、とがった槍で突き刺していたり、あるいは、大きな人間ふたりで運んでいる棒の上に小さな人間が乗っているというような、ほとんど構図的にも自分の「棒を運ぶ」という絵と同じものもあり、相当に驚いた。少し大袈裟というか、自分を過大評価しているようにも思われるかもしれないけれど、昔、岡本太郎が、縄文土器を見たときに「ここに岡本太郎がいる」と言ったように、自分も同じように「ここに(この本の中に)qpがいる」と思ったというか。
そうして、いろいろおもしろがりながら見ていて、ひとつ、なんだこれはとひときわ驚いた絵があった。それは、横向きに立った男、その男のペニスが勃起していて、その長々としたペニスの先から、細い糸のようなものが地面に向かって垂れ下がっていて、その糸の先に、小さい人間が、なにやらへんなポーズをとって空中にぶらさがっている、という絵。まったく、この絵はなんなんだろう、と大きな衝撃を受けた…。
しかし、それにしても、なぜ(いまの)自分の絵と古代エジプト人の表現は似ているのだろう。オカルト的なもの(前世が古代エジプト人だったとか)で説明するくらいしか、答えは見つからない。分からない。
とにかく、いつかエジプトへ行ってみたいと思う。なんというか、この本のいろいろなエジプトの絵を見ていると…不思議な喜びがわいてくる。