机のうえに、一塊の大きなパンがあった。父がナイフを持ってきて、それを半分に切ろうとした。ところが、ナイフはしっかりしていてよく切れるし、またパンは柔らかすぎも固すぎもしないのに、ナイフの刃がどうしても通らない。ぼくたち子供はびっくりして、父を見あげた。父はこう言った。「おまえたち、なぜ驚くのだね。なにかが成功するほうが、成功しないより、ずっと不思議なことではないのかね。さあ、もうおやすみ。たぶん、なんとかうまくやれると思うから」
 ぼくたちは寝床に入った。しかし、ときおり、夜幾度もまちまちの時刻に、ぼくたちのだれかがベッドのなかで起きなおり、首を伸ばして、父を見た。背の高い父が、いつもの長い上着を着たまま、あいかわらず右脚を前にふんばって、ナイフをパンに突き刺そうとしていた。翌朝早く目をさますと、父がナイフを下においたところだった。「ごらん、まだうまくいっていない、じつに難しいんだ」と言った。ぼくたちは自分が立派なところを見せようとして、自分でやろうとした。父もやらせてくれた。しかしぼくたちは、父が握っていたため把手が灼けるように熱くなっていたナイフを、ほとんど持ち上げることさえできなかった。


カフカの小説の断片。保坂和志「小説の自由」の引用より)