昨日は晴れ、今日はくもり(帰るときは少し雨)。毎日のように自転車に乗っている。


この前、黒沢清の「トウキョウソナタ」を観た。どうしてこんなに、と思うほど充実した時間が流れ続け、びっくりする。その前に、かなりつまらない映画(邦画)を観たというのもあるかもしれないが、それを差し引いてもほんとにすごい。すべてのシーンに目が離せない。…しかし、役所広司が出てきてからの展開が、あまりに「外しすぎて」いるようにも思えた。たしかにおさまりの悪さをつくるのは、自分が作品をつくるときのことを振り返ってみても、ある程度は分かるけれども…それでも、ちょっとへんな展開すぎるんじゃないだろうか。役所広司の存在感が、映画全体からあまりに浮きすぎている、ように思った(まるで、べつの映画から入り込んでしまったみたいだ…)。この、外し具合というか、妙なバランスのことを、この映画を観てからときどき考えている。
ところで、主人公の家族が住んでいる一軒家は、線路のすぐ近くに建っていて、頻繁に電車が通って騒音が鳴る様子が描写される。自分は、住むところを決めるときには絶対に音がうるさいところはいやだから、線路のそばはいくら安くても候補にしないのだけれど、いつも線路のそばの家の前を通るときには、いったいこの家の中では、どれくらい電車の音が聞こえるものなのか、ということを考えてしまう。もちろん線路のそばに家があるからといって、すべての家に同じように音がうるさく聞こえる、というのはないだろうけれど(それぞれ微妙に条件が違うだろうし)。ただ、この映画を観るかぎり、やっぱり線路の近くには住みたくない、と思ってしまった。