テレビをつけたら、爆笑問題が大学へ行く番組をしていたので、見た。
今日は、爆笑問題が芸大へ行くというもので、いつもの、大学の先生ひとりと話をするという構成ではなく、特別なものだった。音楽学部でオーケストラの指揮をしてみたり、油絵科で作品講評に参加したりしていた。それで最後に、何人かの先生や生徒といっしょに話をするということになった。だいたいの話はあんまりおもしろくなかったのだけれど、芸大で教えたことがあるという理由で参加していた菊地成孔の話(発言)は、おもしろかった。
とくに、いまはむかしよりも、メディアが発達しているがゆえに、むかしよりももっと(作品を受け取るときの感じなどが)生々しくなっている、という話がおもしろかった。たしかに言われてみれば、そういうふうな気がするし、またその理由もすんなり思い浮かぶ。しかもそのことを、自分はいままでに考えたことがなかった、という気がした。つまり、とても良いことを聞いた気がした。
「生々しい」という言葉は、ここ最近(何ヶ月か、何年か、時間ははっきりしないが)、自分がもっとも信用している言葉のひとつだと思う。生々しければなんでもいい、という極端なことまで思う。あるいは、生々しくなければだめだ、という感じがする。リアリティという言葉でもいいけれど。
…それにしても、大学を歩く映像(しかも天気がよい)を見るだけで、陳腐な言い方かも知れないけれど、心がときめく。この番組は、いろいろな大学のなかの様子とかが見れるので、なにか専門のおもしろい話が聞けるとか、太田光が大学教授につっかかるのが見れるとか、そういうのとはまたべつの理由で、けっこう好きな番組だ。
また、テレビの話でいうと、今日見たのはほかに、7時台にやっていた、右翼の人を追ったドキュメンタリー番組(途中からしか見れなかったけど)と、8時台にやっていた、笑福亭鶴瓶と鈴木杏が台湾に行く「家族に乾杯」で、そのどちらもかなりおもしろかった。「家族に乾杯」は、笑福亭鶴瓶とゲストのふたりで、どこか田舎へ旅に行って、その土地土地の人たちと交流する番組だけれど、ひとつおもしろいのは、途中でふたりが別行動になるところだ。別行動になることによって、それを見るとき、時間と空間の把握が単純でなくなる。