地震が起きたとき労働先にいて、しばらくは揺れているなという程度で動じなかったけど、あまりに長く、またしだいに強くなってきたので机の下に隠れた。それがおさまると、すぐにネットを調べた。宮城が震度7と書いてあり、阪神大震災が同じ震度だったことを思い出し、これは大変なことが起こったと思った。
労働先は、自分以外にはそのときひとりしか残っておらず、他の人は仕事でみなどこかへ出かけていた。残っていた人は、電線が揺れてるといいながら、デジカメで周囲を撮影していた。自分は、ここにいるべきではない、帰りたい、テレビで情報を見たいと思い、まだ3時だったが早退し、自転車で家へ向かった。不安げな表情で道路にぼう然と立っている人を何人も見た。
家へ着くとさっそくテレビをつけた。いままでに見たことがない津波の映像に目をみはった。そのあとずっとテレビを見続け、ネットの情報に目を通し続けた。言葉を失ったような状態で、ツイッターのいろいろな情報も、見るばかりで自分ではほとんどなにも書かなかった。でも、ずっと見ていた。タイムラインにはRTがいくつも続き、拡散とか緊急という言葉があふれていた。
夜に一度外へ出たが、電車を使えなかった人たちが歩いて帰宅する長い列を見た。そういう光景を見たのもはじめてだった。
次の日、土曜は、足りなくなった画材を買い足すために街へ行ったが、いつもに比べてあきらかに人が少なかった。画材を買う店(の入っている百貨店)も閉まっていた。少し買い物をして、日用品などを購入しただけで家へ帰った。あいかわらずテレビを見、ネットを見ていた。原発の危機が叫ばれていた。
そして、今日。スーパーで食料品などを求めたが、カップ麺は品薄だった。家電屋では、懐中電灯、単一電池、ガスコンロが売り切れだった。画材屋(の入っている百貨店)は開いていたので、絵の具と紙を買った。良い天気で暖かかった。人の数は昨日よりも多かった。ほとんどいつもと変わらない日常になっていると思った。ときおり耳にはさむ会話が、やはり地震に関連するものが多かったが。
家へ帰って少しだけ絵を描いた。
夜、計画停電のことがテレビでアナウンスされた。もう明日から実行されるという。自分の住んでいる地区は、情報によると該当しないようだけど、まだ分からない。とにかく、該当するしないに関わらず、こんなことはいままで生きてきて初めてで、現実とは思えない。
この3日のことを、たぶんかなり短めに、簡潔に書いた。被災地のこと、原発のこと、メディアのこと、いろいろあるけど自分には言葉にする自信がなく、ただ自分のことを、(少なくとも自分自身のために)いまの時点で書いておこうと思った。
実感としては、夢を見ているのが一番近い。