暑くてへんな時間に起きてしまった。
それで、もう一度寝ようとしても寝れないのであきらめて、寝ようとしつつ頭にぼんやり浮かんだことなどを書こうかと思った。


もう今の労働をはじめてけっこう経つ。
次の11月で5年かもしれない。


なにを頭に浮かべていたかというと、労働のお昼休みに自転車で行く場所が、その時期によって少しずつ変化していっていることだ。
まずお昼ご飯を食べる場所も変わっていっているし(とにかく野外で、ひとりで、食べている)、食べた後に自転車でまわる場所も変わっていっている。
労働をはじめた時は写真も撮っていなかったし、お昼を食べた後、戻らなければいけない時間まで、図書館へ行ったりブックオフへ行ったりしていた。その時期はやたらと古本を買っていた。
そしてその後、その自分の中の流行が終わって、今度は写真を撮るようになった。金村修さんが新宿駅売店に雑誌を配りつつ、その合間に写真を撮る映像を見たことがあるけど、それのもっと本格的でないような感じかもしれない。
自分は自転車に乗っているけど。


そして、半分は写真を撮る目的だけど、半分はそうではなく、ただ自転車に乗るというか、あまり目的なくただ見慣れた場所を見まわっている。
その場所が、ずっと同じという事がなく、たぶん何ヶ月ごとに、少しずつ変わっていっている、ということをさっき考えていた。
そんなこと、これを読んでいる人にとってはどうでもいいことかもしれない。だからなに?ということかもしれない。
だけどとにかくそれを考えていた。


それから、藤圭子さんと宇多田ヒカルさんのことを考えていた。
今日、藤さんが亡くなったということだ。
なんというか、ただ、宇多田さんにとっては、つらいんだろうなというか、その宇多田さんの心に想いを馳せた。そんなこと原理的にできないと分かっているけど、とにかく、想いを馳せた。
歌手としての宇多田さんがどうとか、自分が好きとかそうじゃないとかは、関係ない。ただのひとりの人として。
悲しくて、つらいに決まってる。


そして、そういうことは、もう書いてしまったけれど、書いても仕方ないというか、書いたとしてなにになるんだろう、ということも考えた。
ツイッターとかで、ニュースがあるとそれに反応して、書く、ということをよく見るし、自分だって、しないことはない。
だけど、それでどうなるんだろう、ということ。ほんとうに、たとえば宇多田さんのことを考えるならば。


でも、そのへんのことは、もういいというか。


なんだかよけいに頭が冴えてしまった。
そして、はじめはまぶしかったモニターの明るさに目が慣れて、体が、眠る感じではなくなってしまった。
なにか、つまらないことを書いてしまったのかもしれない。
もっとおもしろいことが書ければ良かったのかもしれない。


モニターのまぶしさに引き寄せられた極小の羽虫を指でつぶした。
モニターに黒いあとが残った。