芸術における反復の魅力についていつか語りたいと思っていた。しかしうまく語れるかどうか分からない。とにかく、魅力であることは分かっている。
それは、美術でも文学でも音楽でも映画でも演劇でも同じだと思う。いわゆるアウトサイダーアートには反復の魅力のある絵が多い。同じ対象が何度も執拗に描かれる。ウォーホルは同じもの、人を並べて描いた。詩では、同じフレーズが繰り返されると効果を生むことが多い。音楽ではモーツァルトあたりから(よくは知らない)テーマの提示再提示、というのがあり、それはラベルの「ボレロ」に進み、ミニマルミュージックへとつながる。ポップミュージックも同じ。何度も音と詩が反復されるだろう。映画でも同じだと思う。あまりやるとストーリーに支障をきたすのでやらないだろうが、反復される映像というのは魅力的なはずだ。そういう意味では演劇は映画と似ているかもしれない。この反復の魅力は芸術に限らない。いろんなものにあてはまる。あるいは、反復するものを芸術と呼べるのかもしれない。自分が植物に魅力を感じるひとつの理由は、それが反復されているからだ。葉は反復され、枝は反復され、根は反復され、花は反復される。植物は、ほとんどアウトサイダーアートだと思う。
同じものが並んでいるのはそれだけでなぜか魅力的だ。なぜか快感を感じてしまう。しかもそれは、文学、音楽、映画、などの時間芸術、美術などの空間芸術の違いを問わず、あてはまる(空間芸術も別の見方をすれば時間芸術と言えるかもしれないが)。
さて、その理由はなんなのだろう?なぜ反復が気持ちいいのか?反復を得た時に、脳はどういう活動をしているのだろうか?
分からない。
もしかして、こんなことはとっくに解明されていて、知らないのは自分だけなのかもしれない。それとも、理由があまりにも単純なので、みんな、考える必要さえないと思っているのか。