架空の芸術家2
彼のもっぱらの感心は、人間と人間の関係性あるいはコミュニケーションにある。彼の作品ではじめて注目されたのは、誰かが誰かを怒る映像を使ったビデオ作品である。先生が生徒を怒る、上司が部下を怒る、母親が子供を怒る。モニターふたつを使って片方に怒る人、もう片方に怒られる人を映し出し対に配置したその作品は、我々に不思議な感動を与えた。次に彼が発表したのは、「いじめる−いじめられる」ということを追求した作品で、前作につながる作品だったが、これは多対一の構造になっていた。この作品は内容がある意味ストレートだったので、教育団体等からクレームがつき、問題作となった。その後彼は「笑う−笑われる」「叩く−叩かれる」「食べる−食べられる」「見る−見られる」「殺す−殺される」ということに焦点を合わせた映像作品、彫刻作品、あるいはインスタレーション作品などを次々に発表していった。彼が次に制作しようとしていたのは「祈る−祈られる」の作品で、これは人間と神をテーマにした宗教的あるいは哲学的な作品になるはずだったが、制作中に命を落としてしてしまい未完成に終わった。彼の作品はモノローグではなく常に対話へと向かった。それは最も初期の文学であるソクラテス−プラトンの歴史につらなるとも言える。