ひさしぶりに、部屋にある作品の整理をした。東京へ来てからの、一年何ヶ月の間につくった絵を見ていくと、自分が、ほんとにさまざまな種類の絵をつくっていることに驚く。外に出していない、だれにも見せていない作品も相当あり、とくに一番古い(東京へ来たばかりのときの)作品は、自分で言うのもなんだけれど、ひどいものが多い。しかし当時は、その作品の良し悪しが判断できず、それがひどいものであるとは分からなかったのだ。だから、作品をつくる能力が上がっているかどうかは知らないけれど(どうか上がっていますように!)、作品を見る能力は上がっているように思う。それは言いかえると、作品にたいして厳しくなったということで、厳しくなったということは、細かいところまで見れるということで、それはまた同時に、作品を、言葉に置き直して説明することができるということだ。
けれども、そういうふうに、時間という考えを入れて作品について見てみると、いまつくっている作品だって、一年後に見れば、なんてつまらないものをつくったんだ自分は、となるかもしれない。そうなれば、それはまた、作品を見る力が上がったということなのだろうか。あるいはそれは、上がる下がるということではなく、たんに(趣味などが)変わったということなのかもしれないけれど。
そんなことを考えながら作品の整理をしていると、いつの間にか半日がすぎていて、夕方のカラスが、どこか寂しそうに鳴いていた。