森美術館の「英国美術の現代史:ターナー賞の歩み展」を見る。1984年から2007年までの、23人のターナー賞の受賞者の作品を紹介していく展覧会。けっこう楽しみにしていた。

もともと好きな、アントニー・ゴームリー、クリス・オフィリ、アニッシュ・カプーアや、実物を見たことがなかったけれど一度見たかった、グレイソン・ペリーやトマ・アブツなど(トマ・アブツは地味だけど、気になる)、見れて良かった。ほかの作品も、みんなそれぞれすぐれているように思った。ただ、デミアン・ハーストの有名な「母と子、分断されて」だけは、すぐれているとかいないとか、そういう次元の作品ではないように思った…あるいは、好きとか嫌いとかの趣味の問題も越えていると思う。
「母と子、分断されて」は、ずっと写真では見ていたもので、牛がまっぷたつに切られ、断面を見せたままふたつに分けられ、ホルマリンに漬けられた作品。まず、(ある程度の大きさの)現物の生き物を使っているということ、しかも半分に切断され、内臓などが見えていること…この迫力というか、生き物が「ある感じ」というのは、いくら技術を重ねてもつくるのは不可能なことで、こういう作品に勝てるものはない、という言い方もできる…というか、実際目にするとそう思う。
それから、(写真ではなく)実際の作品を見てはじめて気づいたこととしては、半分の牛同士に分けられた、あいだの50センチくらいのスペースに、入ろうと思えば入れるということだ(入ろうとしたら、係の人に注意されるけど、不可能というわけではない)。そのスペースに入り、切断された牛にはさまれた自分、という状態をつくることもできるのが、この作品なのだ…というのに今日はじめて気付いた。
ただとにかく、まずはビジュアルとして、牛を半分に切ったものを見るということ自体が、相当に異常なことで…そういうふうに見た目(状況)のインパクトがはじめにきて…それから、死というテーマや、いろいろな意味を考えることもできる作品になっている。タイトルの「母と子、分断されて」にあるように、この作品は母親の牛と子供の牛の二頭がともに切断されていて、二重の意味で切断(分断)された作品なんだろうけれど、そういう物語に還元するというか、テーマに還元するというか、そういうのは(牛をふたつに切断!というダイレクトな強さにくらべたら)たいしたことではないのかもしれない。そしてまた、よく見ると細部の仕事も繊細で、尻尾をうまく半分にしているのとか、いったいどうやったのだろうと思う…。
この作品は、現代美術の歴史の中でも、かなり特権的な位置にある作品なのだろうけれど、日本にきたのははじめてで(というか、調べたらアジアでもはじめてで)この機会を逃すと次はいつ見れるか分からないというか、もしかしたら二度とないと思うので、そういう意味でも貴重な体験、といえるかもしれない。この展覧会自体については、少し文句を言いたくなるところもあるのだけれど、「母と子、分断されて」を見るだけでも十分価値のある展覧会だと思うし、ほかの作品も(日記には書いていないけれど)、おもしろいものがいくつかあった。