東京ビックサイトへ、GEISAI#11を見に行く。
今回はブースの数が多く(2フロア使っていた)、ぜんぶ見るのが大変だった。しかし、ひとつずつ見ていって、圧倒的に好きだと思える作品は、見つけることができかった(好きな作品はいくつかあったけれど、それと「圧倒的に好き」というのは違う)。そのなかで、いちばん良いと思えたのは、ゆずのブースに展示されていた、外国の子どもたちの絵だった(たぶん、戦争がおこなわれている地域の、子どもたちが描いた絵。戦車が描かれたりしていたから…)。あと、一般のブースでも子どもの絵を展示しているところがあって、こちらも良かった(たんなる普通の子どもの絵なんだけど…ポケモンのような怪獣を描いたりしていて)。その子どもの絵は売っていたので、ほしいと思って買ったのだけれど、買うときに、いけないことをしているような、罪悪感(違和感?)みたいなものも感じてしまった。ほんとは、お金で買うものではないという気がした(まあ、いわば子どもの落書きだし、値段も100円200円なんだけれど…それでも、なにかが間違っているという気がした)。
たぶん、ほんとうの底のところでは、ある画家の作品を買うのと、子どもの絵を買うのでは、なにも違いはないはずだと思う。しかし、底ではない、もっとおもてのほうの部分では、やっぱり違うところがあるのだろう。それはひとつには、絵を描いている(売っている)人の、社会的なことが違う。また、たんに子どもが絵を売るということはありえなくて、その間に大人(親)の存在が入っているということがある。大人(親)の意思によって、子どもの絵が売られるという、ある種の気持ち悪さみたいなものを、どうしても感じずにはいられない。そして、それを買うほう(大人)は、その取り引きに加わっていることになる。だから、どうしても完全な取り引き(正しい取り引き)とはならず(少なくともそう思えず)、罪悪感を感じたり、釈然としないものを感じたりするんじゃないか。もちろん子どもは、大人の命令によって絵を描いているわけではないだろうし(普通に楽しんで描いていると思う)、絵を売ることを拒否しているわけでもないだろう(むしろ、自分の絵が売れて喜んでいるかもしれない)。しかし、とはいっても、大人(親)と子どもの立場は対等ではないし、気持ち悪さの構造は消えないように思う。


(このへんの話は、絵の質とは関係ない話で、自分も深く考えることにそれほど興味はないのだけれど、違和感を感じたので、少しながながと書いてみた)