せつないとか悲しいっていう言葉、自分の気持ちに合っているような気がして使うことがあるけれど、ほんとうは少し違うような気もしている。
いまだってたしかにせつないのだけれど、せつないと言い切ってしまうのは正確ではなく、別にもっとふさわしい言葉があるような気がする。あるいはひとつの言葉でいえないのなら、比喩を使うとかあるいはなにか違う言い方でいうとか、したほうがいいかもしれない。たとえば、楽しみにしていた動物園へ行ったら休みだったときの気持ち、とか、だれか泣いている人を見たときの気持ち、とか。でもそれはそれでまわりくどいというか、なにかうまく言ってやろうという作為的なものを感じて興ざめかもしれない。そういうふうに興ざめにならずに、かつ正確に、自分のいまの気持ちをいうことはできないだろうか。たぶん、ときどき夜になると生まれる、せつなさに似た、よく分からない気持ち、というくらいがちょうどいいかな。でももっといえる気もするけど。というか、なぜ自分がこんなこと書いているのか分からなくなってきた。こんなこと書くつもりは、なにもなかった。ただときどき、自分に生まれたいろいろな気持ちを、日記に書きたいと思うことがあり、しかしなかなかうまくいくことがないから、そのうまくいかなさをことわりたい(記しておきたい)と思ったのだ。
それにしても、このせつないような気持ちは季節の変わり目とか夜によく生まれるけれど、いったいなんなのか、なんのために生まれているのか。それよりも一番知りたいのは、これが生まれたときに、自分はいったいなにをすればいいのか。これが分からないから困っている。本を読むとかインターネットをするとかなにかテレビを見るとか絵を描くとか人と話すとかなにもしないとか寝るとか。寝たらたしかに直るけれど、それでほんとうにいいのか。逃げていることにならないか(でも、いったいなにから?)。もっと正しい(ほかにいい言葉が見つからない)行動があるのではないか。このせつないに似た気持ちはなんなのか。
今日は昼間、原宿のほうでふらりと寄ったお店で、緑色の長靴のかたちをした小さいペン立てを買った。値札に560円だとあったので買ったら、ほんとは900いくらした。値札が間違えて貼られていたからだ。でも、そのペン立ては気に入ったので、900いくらでもそんなに損した気分にはならなかった。